霊視のわな

霊視のわな

肉眼で見ているっていうのとは少し違うのですが、映像としてビジョンとして動画として見えることがあります。 これはこれで調べ物をしていたり鑑定していたり原因追求しているときはなかなか便利です。

百聞は一見にしかずって言う諺がありますが、やっぱり言い得て妙でそういう面は確かにあるのです。

勝手に見えてくる時や意図的に見ようとしている時で、その使い方って違うのですが、鑑定時の1つの調査方法としてはやはり特有の便利さがあるので重宝しています。

霊障対策の追求時などはより正確に意味を理解しないとなりませんし、そのビジョンを意味あるものとしてみようとしたら、重要なメッセージとして見せてもらおうとしたら、やっぱりその霊視するにあたっての取扱注意事項というのはあります。

私の周囲にも、私のご依頼者の方にも、見える人(霊視できる人)はおられますが、でもそれが 悪い存在にわざと見せられているビジョンではないのか?ってのは常に疑っておかないとなりません。実際に、まだあまり性質がわからない時や、その存在の霊的な強度が非常に強い場合には、そんなこともあり得ます。

見えてくるビジョンを見てフムフムなるほどなるほどそういうことね!びっくり情報を得て悦に浸っていても、実はビジョンの向こう側でほくそ笑んでそれを流している悪意ある存在がいた!なんてことも実際にあるのですから。

だから何かを見てもそれがどういう意味なのか?以前の問題として、そもそもこれ間違った方向に行かせるためにくっきりはっきりわざと見せられているわけではないよね?というフィルターは1枚入れておかないとならない。はっきり見えるからといってそれは精度の何の担保にもならないのです。

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貴喜 administrator

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